会長挨拶
会長挨拶

森本典繁
情報処理学会会長/日本アイ・ビー・エム(株)
<目次>
- 創立記念日に寄せて(2025年4月22日)
- 会長声明「学会を活用した高度技術人材の育成・活躍をめざして」(2025年3月12日)
- 新年のご挨拶(2025年1月6日)
- 創立記念日に寄せて(2024年4月22日)
- 2024年(令和6年)能登半島地震について(2024年3月19日)
- 新年のご挨拶(2024年1月5日)
- ポスト・コロナ時代の新しい価値の創造に向けて—会長就任にあたって—
(2023年6月8日)
創立記念日に寄せて
情報処理学会創立65周年を迎えるにあたり、「技術進化と人間の成熟」という観点と、これからの「学会の存在意義」という観点で、私の所感を述べさせていただきます。
私たちの住む現代社会は、まさに今大きな転換期を迎えていると感じています。長らく緩やかに流れていた潮流が、突如として速度を増し、意志を持って新たな方向へと流れ始めたかのような、そんなダイナミックな変化を感じさせます。その変化の兆候は、科学技術からデジタル技術、そして社会構造や日常の経済活動にまで及んでいます。
COVID-19のパンデミックによって社会に浸透したデジタル・コミュニケーションの発展は、その1つの例です。リモートワークやオンライン教育を可能にするデジタルツールは、パンデミック期間中に物理的な接触が制限された世界において、社会機能を維持するための生命線となりました。この未曽有の事態は、人々の行動様式を根本から変え、デジタル技術の浸透を大幅に前倒しにするとともに、働き方や人々の価値観まで変容させたと言っても過言ではありません。
このデジタル化の波により副産物としてもたらされた膨大な量のデジタルデータは、やがて新たな時代の「燃料」として、人工知能(AI)技術の進化に貢献することになりました。世界中の人々が使うようになったデジタル・プラットフォームには、文書や画像等がビッグデータとして蓄積され、それをAIに学習させることで、AIの性能と汎用性は飛躍的に向上していきました。これに加えて、自然言語のインタフェースを得た結果、文書生成、翻訳、分析や予測など、さまざまな分野で実用化が進んでいます。生成AIの登場は、その進化を一般社会に強く印象づけ、AIを専門家だけでなく、誰もが利用できる身近なツールへと変貌させたのです。
このようなAI技術の高度化と普及は、高性能な半導体、特に最先端の半導体に対する需要を喚起しました。生成AIの高度化を支える裏側は、複雑で大量データを使った学習処理ですが、その実現には高性能な半導体が大量に必要となりました。また、学習処理だけでなく、これから増大していく推論処理を含めて考えていくと、インフラ(サーバー・ストレージ・ネットワーク)を支えるデータセンターにおける電源供給の制約から、より消費電力効率の高いAIチップの需要が大きく高まることが予想されます。
一方で、この半導体需要の高まりと並行して、地政学的な変化がサプライチェーンに大きな影響を与える懸念も生じています。国家間の貿易摩擦や紛争により経済安全保障上のリスクが大きくなるにつれて、半導体を含む戦略物資の安定供給に対する意識が高まり、各国は生産能力強化やサプライチェーンの組み換えを模索しはじめています。この流れは、グローバルな商流の再編を促し、技術覇権争いを新たな局面へと導いていると言えるでしょう。
さらに、AIや半導体技術の発展は、バイオテクノロジー、宇宙開発、ロボット工学といった他の先進分野にも大きな影響を与えています。AIによる創薬やゲノム解析、自律制御の宇宙探査ロボット、人間と協働するロボットなど、期待される分野は多岐にわたりますが、これらは相互に影響し合いながら、新たな可能性を切り拓いています。
中でも特に注目されている技術の1つが、人間の脳の神経回路を模倣した脳型AIプロセッサーです。AI処理に特化して設計されたこのプロセッサーは、現在使用されているGPUに比べ、より低消費電力で高効率に学習や推論を処理することができ、AIのさらなる進化や普及にとって不可欠な技術であると期待されています。
また、量子コンピューターは、まったく新しい概念に基づいて構成された計算機で、従来のコンピューターでは困難であった大規模で複雑な計算を高速に処理できると期待され、新素材開発や創薬のための分子レベルでのシミュレーション、大規模な金融リスクのモデリングなど、幅広い分野で破壊的なイノベーションを起こす可能性を秘めています。
1. 技術進化と人間の成熟
さて、このように技術が驚異的な速度で進化し、その影響力が社会の隅々に拡大すればするほど、技術の進歩が及ぼすポジティブな側面と、その副作用であるネガティブな側面についても考える必要性があります。高度化された技術を扱う個々の人間の判断が、結果的により大きな影響を及ぼすということを考えると、私はこのような時代こそ、改めて「人間としての本質」とは何かを深く考察する必要がある、と考えています。
たとえば、SNSの何気ないつぶやき1つが、瞬く間に拡散され、社会現象を引き起こすことがあります。それは、共感を呼びポジティブな連鎖を生むこともあれば、誤った情報や悪意のある意図として広がり、社会の分断や混乱を招くこともあります。そのほか、かつては専門的な知識やスキルを必要とした行為を、AI技術がより容易に、そして広範囲に可能としてしまうが故に、その高度な情報分析能力が悪用されると、詐欺の手法がさらに巧妙化を遂げ、新たな犯罪の手口を生み出す可能性もある、といったことも指摘されています。
個人のプライバシーにかかわる情報や、企業の存続にかかわる機密情報に対しても、同様の理由で盗難、漏洩されるリスクが増大します。多様さを増すサイバー攻撃の手法は日々高度化を極め、その防御策との間で終わりのない攻防が繰り広げられていますし、情報伝達のスピードと正確性が人の命を左右する自然災害や事故といった危機的な状況下においてさえも、こういった進化した技術の悪用により、真実と虚偽が入り混じったフェイクニュースの拡散が絶えません。悪意の有無にかかわらず、混乱に乗じた悪質な情報操作は人々の冷静な判断を妨げ、避難行動の遅延や不必要なパニックを引き起こし、結果として甚大な被害を引き起こすことにもつながってしまうのです。
このように、技術は社会を豊かにする可能性を秘めている一方で、悪用された場合には、社会秩序を根底から揺るがす脅威にもなり得ます。「技術の使い方次第で善にも悪にもなり得る」、というのは当たり前の事実ですが、今日の技術進化において、その影響力は計り知れず、より一層この言葉の重みが増しているのです。
こういった善悪の両極面を持ち合わせてしまう技術進化を支え、これからも促進していく私たちに必要となってくるのは、人間としての本質的な部分、すなわち倫理観、道徳心、共感性、批判的思考力といった能力です。これらを磨き、高め、自らの良心と理性に基づいた判断をする力を高めることが、これまで以上に重要になってくると言えるでしょう。
- 自分の発言がどのような影響を与え得るかを想像すること。
- 情報に接する際にはその真偽を見極める批判的な視点を持つこと。
- 技術を自らの利益のために悪用する誘惑に打ち克つ強い倫理観を持つこと。
たとえばこのような、精神的に自立した人間として生きていく上での本質的な部分を磨き続けることこそが、これからの時代を技術に支配されずに生き抜く上で、身につけていくべき重要な能力であると考えます。
2. 学会の存在意義
学会は、国境や組織の枠を超えて学術的な発見や成果を共有し、それらを基盤としてさらに新たな知見を積み上げていく場として、長年にわたり科学技術の発展に貢献してきました。
つまりその役割は、単に研究成果を発表する場にとどまらず、異なる分野の研究者や技術者が集い、知見を交換して積み重ね、社会全体で共有できる知的資産として拡充し、社会に還元することにあります。
情報技術の急速な進化、地政学上の大きな変動や地球環境問題の深刻化といった複雑な課題が絡み合う現代においてこそ、学会の果たすべき役割は、社会の集合知を高めて共有する場としてますます重要になっていると考えます。
残念ながら、昨今の国際情勢を見ると、各国の利害が交錯し、科学技術の発展が経済競争や安全保障の観点から制限される場面も増えていますが、そのような状況下であっても、社会や政治的に中立的な立場から知の交流を促進し、技術と知識の共有を継続していくことこそが、学会に与えられた重要な使命である、と言えるでしょう。
その意味で、国境を越えた研究ネットワークを維持することも学会の大きな使命の1つで、たとえば昨今の急速なAIの進化の中、データの共有やAIの倫理的利用に関する議論は、国際的な枠組みの中で進める必要性が言われているように、情報技術分野においても、国際学会への参加や共同研究の推進が重要になってきています。
こうした国際協力を促進するためには、英語での論文発表の推奨や、国際会議との協調など、多様な取り組みを進めていく必要があります。また、日本国内の学会も例外ではなく、海外の学術団体や研究機関との連携を強化し、よりグローバルな視点で研究を進めることが求められます。これらは、日本の研究者が世界の最前線で活躍し、また海外の研究者が日本の研究コミュニティに積極的に参加できるような環境を整えるためにも重要です。
そして、学会にとってのもう1つの重要な使命が、次世代の育成です。
学問や技術の進歩は、一世代の努力だけで完結するものではなく、継続的に知識を受け継ぎ、深化させていくことで持続し、発展していきます。情報技術分野においても、次世代の研究者や技術者が自由に学び、その発展に貢献できる環境を整えることが急務となっています。
近年では、大学だけでなく、高校生や中学生向けのプログラムも活発に行われており、学会としてもこうした取り組みを今まで以上に積極的に支援し、より多くの若い才能が科学技術の世界に足を踏み入れられるような環境を作ることが求められています。
その一環として学会を、これら若い技術者や学生研究員と社会や企業をつなぐ場としても活用していけるよう、企業の活動や研究成果をより深く知るための交流の場やプログラムを設けたり、学生研究員が企業に対して自身の成果をアピールできる場を増やせるように、さまざまな工夫や検討を進めています。
私たちは今、学会の存在意義を改めて見直し、新しい時代にふさわしい形へと進化させていくべき時期に来ています。情報技術が社会のあらゆる分野に浸透し、変革をもたらしている現在、学会の役割も単なる知識の共有から、社会全体に対する貢献へと拡張しています。
技術革新がもたらす変化を前向きに受け止めつつ、学問の自由と知の共有を守り、そして次世代を巻き込みながら、学会の活動をより一層充実させていくことで、情報処理学会は社会にさらに大きな価値を提供できると考えます。
新年のご挨拶
創立記念日に寄せて
2024年(令和6年)能登半島地震について
新年のご挨拶
会長就任にあたって
ポスト・コロナ時代の新しい価値の創造に向けて
—会長就任にあたって—
森本典繁
情報処理学会会長/日本アイ・ビー・エム(株)
(「情報処理」Vol.64, No.7, pp.316-318(2023)より)
ポスト・コロナに向けて
さて,2020年に緊急事態宣言が発せられてより,私たちの日常生活や社会に大きな影響を与えてきた新型コロナウイルスの世界的な大流行も3年が経過してようやく収束を迎えました.人,物の流通やビジネスを含めて世界的に回復基調となっている中で,この間に世界中が経験したことは,さまざまな形で我々の今後の行動に不可逆的な影響を与えています.たとえば,リアルな移動や接触ができないためにリモート会議やオンライン授業が一般化したり,オンラインショッピングやフードデリバリなどの利用が拡大したり,それに伴う事務処理のデジタル化やオンライン対応可能な業務の拡大(いわゆるDX)なども大きく進みました.これらの技術や習慣は,新型コロナウイルスが収束した後も我々の生活や社会に定着して,日々の暮らしや働き方,企業や大学などの組織の在り方,そしてコミュニティや社会に対する価値観などにも長期的に影響を及ぼしていくこととなるでしょう.一方では,これらのアプリケーションやサービスの普及に伴い,スマートフォンやPCの需要が急速に高まり,一時的に半導体を含めて世界的に品薄になる等の現象も引き起こされました.さらに,度重なる局所的な災害や事故により世界的なサプライチェーンの脆弱さが露呈したこととも相まって,医薬品や半導体,レアメタルを含むいわゆる戦略物資の確保や資源の国際競争にも関心が集まるようになりました.これらの物資の確保に対して各国は今後も引き続き多大な努力を続けていくと予想され,2023年5月に広島で行われたG7サミットにおいても,経済安全保障の文脈で戦略的物資の確保は重要課題となりました.
新型コロナウイルスの世界的な流行の間,全世界的に進んだデジタル化によって,情報技術に対する関心も大きく高まりました.特にこの数年間のAIの発展に関しては,ChatGPTなど,一般の利用者が直接使えるインタフェースで提供される生成系AIの登場によって社会のAIの利用に対する理解が進み,適用へのハードルは一気に下がりました.機械学習,深層学習に続く大規模言語モデルの登場とその目覚ましい性能向上の速さは世界中で話題となり,AIを身近で認識して日常的に利用できるものへと変えました.新しいアルゴリズムの登場やその利用範囲の拡大に世界は再び注目し,生成系AIは一般社会に急速に広まろうとしています.それと同時にこのような急速な技術進化の負の側面についても世間の注目するところとなり,AIの透明性や倫理性,利用範囲の制限や悪用の防止なども大きな社会的な関心事となっています.また,大規模化,複雑化するAIの学習を実行するためのコンピュータ・ハードウェアの演算性能や膨大な消費電力に関する課題も浮き彫りになり,コンピュータの演算処理性能に対して,従来のムーアの法則を超えるペースでの進歩(特にエネルギー効率)が期待されるようになりました.
この流れを受けて,コンピュータ,特に先端ロジック半導体に関しては改めて日米欧で最先端の技術開発や量産能力を持つ必要性が高まり,各国で相次いで大型の公的な資金の投入がなされ始めました.日本においてもTSMC 社の熊本工場誘致に続いて,昨年はRapidus社が設立され日米連携の枠組みの下でまずは2nmノードの先端ロジック半導体の製造に向けて活動を始めています.また,将来の飛躍的な演算速度を供給できると期待される量子コンピュータに関しても,2018年に慶應義塾大学がIBM社の量子コンピュータのクラウド・サービスを使った産学連携の研究ハブをいち早く立ち上げたのを始めに,2021年には東京大学が「量子イノベーションイニシアティブ協議会(QII)」コンソーシアムを創設し,IBM社製のゲート型商用量子コンピュータを新川崎に設置して量子技術の産業応用に関する研究活動をさらに加速化させました.本年(2023年)3月には理化学研究所の国産のゲート型量子コンピュータの稼働開始の発表があるなど,ハードウェアの開発と産業応用の可能性を探索する研究活動が活発に進行し始めています.
このように,コンピュータのハードウェアの発展に呼応して情報技術分野の技術革新も活性化するということはこれまでもありました.今日の私たちの環境においては,大規模なAIの本格的な普及による社会的な需要と,半導体,量子コンピュータ等の基盤技術のブレイクスルーが重なった状況であり,まさに情報技術分野のゴールデンエイジの到来を予感させるものだと言ってよいと思います.
新型コロナウイルスの流行とは別の次元で,世界では地政学的なリスクが高まる事象が多発しています.地球環境,エネルギー,SDGsなど各国が力を合わせて取り組まなければならない喫緊の課題が多くあるにもかかわらず,世界では戦乱や紛争が続いている地域もあり,民族や国家間の分断が産業・経済にも大きな影を落としています.
このような環境の中で,本会を始めとするアカデミック・コミュニティは,組織や国を超えた開かれた学術交流の場として,今までにない重要な役割を担う必要性,そしてチャンスがあるのではないかと考えています.
まず,産業界との連携に関しては,より密に連携を進め,国内だけでなく国際的にも技術革新の連携を止めないことが重要であると考えています.本会は,情報学分野での広いカバレッジを持っており,多くの分野の研究会を通して,企業と学術界の研究者や技術者,学生が最先端の成果を議論できる場を提供することで,新しい分野の創出や相互の技術交流に大きく貢献しています.今後は,より産業や社会課題解決の観点から必要とされる技術について,学問分野にまたがる知を融合し新たな価値を創造していく場としてもっと活用されるように発展させていきたいと思います.特に先端的な技術分野であるAIや量子コンピュータについては,産業界で先行している部分もあり,組織や領域を超えた活発で開かれた技術交流と社会実装に向けた課題の共有が技術の進歩を早め,世界をリードするチャンスを広げるものと確信しています.
次に,国際交流です.本会は,これまでも海外の国際学会との交流を行っていますが,多様な分野の知識や経験を持った研究者・技術者の積極的な参加を促し,世代の違いや産学の枠を超えた人材の交流や国際交流も含めて進めていく必要があると考えています.2015 年度に開始したジュニア会員制度を始め,学生や若手研究員の参画や育成にも積極的に取り組んでいきたいと思います.
情報技術は,現代社会のあらゆる側面に浸透し,基盤的な分野となっています.また,その発展はほかのすべての科学技術分野を加速させる力を持っています.そのために異なる分野や立場,組織からの視点や経験を結集することは,情報技術分野において新しいアイディアやイノベーションの創出に不可欠です.新しい時代の新しい価値を創造していくオープンで多様な議論ができる場として,本会の魅力をさらに高めていけるように努力して参りたいと思いますので,ご支援のほど,お願いいたします.
(2023年5月23日)
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