2019年02月04日版:美馬 のゆり(教育担当理事)
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2019年02月04日版
「コンピュータ・サイエンティストのように考える」
美馬 のゆり(教育担当理事)
21世紀はコンピュテーションの時代であるとして,欧米の教育界ではコンピュータ・サイエンスとComputational Thinking(以下,CT)を小学校からのカリキュラムに導入しています.
英国では2012年に国家カリキュラムの改定で,5歳児から小中高のすべての段階でコンピュータ・サイエンスを教科として,翌年から導入しました1), 2).米国では,2016年の大統領令でオバマ大統領は,幼稚園から高校まですべての子どもがコンピュータ・サイエンスを学び,すべての人がCTを身につけておく必要があるとしました.それに呼応するよう,コンピュータ・サイエンスやCTは,STEM教育とともに,小学生から高校までカリキュラムが開発され,これまでさまざまな実践がなされています3), 4), 5).
それらの中で土台とされているのが,2006年にWingが書いたCTについてのエッセイ6)です.このエッセイは2015年に中島によって「計算論的思考」として翻訳され,『情報処理』に掲載されました.そこではCT(以下,計算論的思考)について,以下のように書かれています.
「計算論的思考は問題解決,システムのデザイン,そして基本的なコンピュータ科学の概念に基づく人間の理解などを必要とする.」
また2014年にWing7)は,その定義をさらに明確にし,以下のように述べています.
「計算論的思考は,問題を定式化し,その解決策をコンピュータ(人間または機械)が効果的に実行できるように表現することにかかわる思考プロセスである.」
一方日本では,2020年度から小学校教育においてプログラミング教育が必修化されます.情報科の教員が不在の学校が多い中,すべての学校,すべての教科で実施することが推奨されています.文部科学省新学習指導要領8)では,計算論的思考を意識し,「プログラミング的思考」という概念を提示しています.
情報処理学会に身をおく者としてはここで,小学校教育の中に,なぜプログラミング的思考やプログラミング教育を導入するのかを一度整理し,みなさんと共有したいと思います.文科省の有識者会議9)では,プログラミング的思考について以下の説明がなされています.
「自分が意図する一連の活動を実現するために,どのような動きの組合せが必要であり,一つひとつの動きに対応した記号を,どのように組み合わせたらいいのか,記号の組合せをどのように改善していけば,より意図した活動に近づくのか,といったことを論理的に考えていく力」
このほか,小学校のプログラミング教育にかかわる教育関連の団体や企業,個人のウェブサイトの中には,プログラミング的思考を計算論的思考と同じようなものとしていたり,プログラミング的思考は論理的思考であるとしていたり,「コンピュータのように考える」ことであるとか,プログラミングスキルを身につけることであるなど,その解釈はさまざまです.
コンピュータ・サイエンスを学んだ者であれば,先のWingのエッセイに書かれていることが,プログラミング的思考と異なっていることは容易に理解できます.計算論的思考は「コンピュータのように考える」のではなく,「コンピュータ・サイエンティストのように考える」ことです.論理的思考と重なるところもありますが,そのほかにも,コンピュータを使う,使わないにかかわらず,その特徴には,アルゴリズムとアルゴリズム的思考や,パターンとパターン認識,抽象化と一般化,評価,自動化といった概念の利用があります.
コンピュータ・サイエンスの発展がビジネスや研究開発,日常生活に変革を起こし,あらゆるものに組み込まれてきている現在,計算論的思考は,新しい問題解決の方法や思考を促進するための基礎となるものです.
計算論的思考の重要性に最初に言及したのは,教育用プログラミング言語LOGOを考案したPapertだといわれています1).Papertはその著書10)の中で,コンピュータという道具の出現によって人間の思考が変化していくことを指摘しています.
私は計算機科学科の学部3年生のときに,当時Apple IIeで動いていたLOGOを日本のPCへ移植するプログラマのアルバイトをし,それがきっかけで教育分野へ足を踏み入れることになりました.そしてMIT Media Labが開設した1985年に,大学院生としてLOGOの開発者であるPapertのところで学ぶことになりました.
帰国後も思考と道具の関係,特に教育におけるコンピュータの利用について研究実践を行ってきたことから,2020年度からのプログラミング教育の導入には,期待とともに危機感を持っています.
情報処理学会ではこの数年,ジュニア会員制度をはじめ,若い人たちにコンピュータ・サイエンスのおもしろさ,奥深さを理解してもらうような,人材育成にかかわる活動が増えてきました.科学技術分野の中でもコンピュータ・サイエンスは特に,すべての学術分野,生活全般にかかわる重要なものです.これから未来を創っていく子どもたちに,そして子どもたちを育てる人たちにも,コンピュータ・サイエンティストのように考える機会をその有用性とともに,情報処理学会の活動を通じて提供していきたいと考えています.
1) Sentance, S., Barendsen, E. and Schulte, C. (Eds.): COMPUTER SCIENCE EDUCATION: PERSPECTIVES ON TEACHING AND LEARNING IN SCHOOL, Grover, S. and Pea, R.: Computational Thinking: A Competency Whose Time Has Come, pp.19-38, Bloomsbury Publishing (2018).
2) National curriculum in England: computing programmes of study
https://www.gov.uk/government/publications/national-curriculum-in-england-computing-programmes-of-study/national-curriculum-in-england-computing-programmes-of-study
3) Csizmadia, A., Curzon, P., Dorling, M., et al.: CAS computational thinking - A Guide for teachers (online), available from <https://community.computingatschool.org.uk/resources/2324/single> (2015).
4) Seehorn, D., Pirmann, T., Batista, L. et al.: CSTA K–12 Computer Science Standards, CSTA (online), available from <https://www.csteachers.org/page/standards> (accessed 2019-01-29).
5) Honey, A.M. and Hilton, L.M. (Eds.): Learning Science Through Computer Games and Simulations (STEM Education), National Academy Press (2011).
6) Wing, M. J.: Computational Thinking, Communications of the ACM, Vol.49, No.3, pp.33-35 (2006). 中島秀之(訳):計算論的思考,情報処理,Vol.56,No.6, pp.584-587 (online), available from <https://www.cs.cmu.edu/afs/cs/usr/wing/www/ct-japanese.pdf> (2015).
7) Wing, M. J.: COMPUTATIONAL THINKING BENEFITS SOCIETY, SOCIAL ISSUES IN COMPUTING (online), available from <http://socialissues.cs.toronto.edu/2014/01/computational-thinking/> (2014).
8) 新学習指導要領のポイント(情報教育・ICT活用教育関係)
http://www.mext.go.jp/component/a_menu/education/micro_detail/__icsFiles/afieldfile/2018/07/20/1407394_2_1.pdf
9) 小学校段階におけるプログラミング教育の在り方について(議論の取りまとめ),文部科学省(オンライン),入手先 <http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chousa/shotou/122/attach/1372525.htm> (参照2019-01-29).
10) Papert, S.: Mindstorms: children, computers, and powerful ideas, Basic Books, Inc., New York (1980). 奥村貴世子(訳): マインドストーム ー子供,コンピュータ,そして強力なアイデア,未来社 (1982) .