「サイバー文化財とミサイル発射台認識」
池内 克史(調査研究担当理事)
筆者の研究室では、文化遺産のサイバー化を研究している。九州の北部に20ほど存在する一般公開されていない彩色古墳の形や色のデータを収集し九州国立博物館でVR展示したり、日本各地に存在する踊りのデータを収集し動き解析しその結果を利用してヒューマノイドロボットを躍らせたり、明日香の地で壬申の乱を電気バスに乗ってHMDやタブレットを用いて目の前で体験するシステムを構築したりしている。
こういった、文化財のサイバー化は、人災・天災で日々失われゆく文化財をサイバー空間に永久保存できる。サイバー空間中のデータをサイバー展示することで、いつでもどこでもだれでもが文化財を鑑賞できるサイバー博物館が構成できる。さらに、サイバー文化財データの解析から実際に人間が観察しただけではわからなかったような文化財間の微妙な差を復元でき、これを解析することでサイバー考古学といった新しい学問展開もはかれる。
筆者は東大に移る前にアメリカの大学に10数年籍をおいた。そこでは、研究資金獲得のため軍事研究も行った。合成開口レーダ画像中から敵のミサイル発射台の状態や戦車の配置を認識するといったかなりなまなましい研究までも行った。しかし、この一見後ろめたい軍事研究が、先端技術研究の田畑を提供し、先端技術開発を引っ張っているという現実も実感した。たとえば、現在使用されているインターネットの源流は、ソビエトからの核ミサイル攻撃の際にも、情報通信網が途絶しないように設計されたARPAネットに端を発している。カーナビの源流もGPSなる核ミサイルコントロールシステムにある。
科学者の良心や倫理観は別に議論をすることにして、軍事研究の1つの効用は、コスト面をある程度無視して、世界最高水準の技術を開発することができるという点である。「なぜ1番でないとだめなのですか」などといった質問をうけることなく、「いくらかかっても良いので世界一のものを作ってください!」という技術者冥利に尽きる論理がまかり通る分野である。さらに最先端技術開発は、ともすれば開発時には思いつかない分野へと発展したりもする。まさに、インターネットやカーナビの世界である。
日本の大学は、軍事研究を自粛している。社会的風潮として、すべての研究開発は、コストを意識して進めるべきであるとの意見も多い。コストを意識する日本的技術開発は、しかし、ともすれば近視眼的で漸近的研究になりやすい。
翻って、なぜ軍事研究においては、コスト面を(ある程度)無視してよいのか?
軍事研究は、「「祖国」というかけがえなきもの」を守るのだから」、「敵国に負けてしまえば元も子もないので」、「欲しがりません、勝つまでは」と言った論理で、コスト計算を少々度外視しても国民の了解が得やすい。
「かけがえなき「祖国」を守る軍事技術」というお題目の中で重要なのは、実は、祖国にあるのではなく、「かけがえなき「X」」にあるという点に注目したい。「X」として、人命や宇宙船地球号(地球環境)などが理解しやすい。「かけがえなき「人命」を守るライフイノベーション技術開発」、「かけがえなき「地球環境」を守るグリーンイノベーション技術開発」などどこかで聞いたことのあるお題目である。
この「X」の中に、「民族のアイデンティティとしての文化」があることに注意したい。昔、ユダヤの民はローマ帝国に軍事力の差でやぶれ、祖国を失った。軍事力の差で、消えて行った民族は多い。人類の歴史上侵略者がまず行うことは、被征服民族のアイデンティティとしての文化すなわち言語や宗教や風習を破壊することである。しかし、ユダヤの民は、世界中に飛散しながら2000年間、民族のアイデンティティたるユダヤの文化、金曜日にはフロックコートを着て白い糸飾りをつけて集まるとか、コッシャーと呼ばれるおまじないをした食品しか口にしないといった文化を保持し続けた。20世紀に入り、イスラエルを建国できたのもこのユダヤ文化の保持が大きい。
文化は民族団結のバックボーンと言っても過言ではない。民族の存続と尊厳にとって、文化は軍事にまさるともおとらぬ重要な要因なのかもしれない。さらに、この民族のアイデンティティたる文化を単に継承するだけでなく、ITを利用して外へと発信することで民族のクールネス(かっこよさ)が向上する。
文化発信能力向上は、情報処理技術によるところが大きい。この方向での情報処理技術を振興することで、民族のかっこよさたるナショナルクールネスも向上し、民族の地位が向上し民族の団結も図れる。さらに、ここでは情報を収集し保持し表現する技術を研究する情報処理技術者が中心的役割を果たす。すなわち、情報処理分野のフロンティア研究が「なぜ1番でないとだめなのですが」などという雑音に悩まされることなく、大手を振って行える。軍事力向上の技術開発はアメリカにまかせ、情報処理学会を中心に、文化力向上のための情報処理技術の研究を大いに行い、ナショナルクールネスの拡大を図ろうではないか。